地域の葬儀のしきたり

私の実家はかなりの田舎で、様々なしきたりやルールがあります。もちろんお通夜やお葬式に関しても地域独特のルールがあり私も子供ながらに様々なことを見てきて父親や母親がもしなくなったときに自分自身でできるだろうかと不安に感じていました。

祖父や祖母が亡くなった時も実際に自宅で葬儀お通夜も行い、御詠歌をご近所の奥様方が歌ったり、初七日、49日、1周忌には地域独特の近隣でのやりとりがあったりと。

私も成人してからは近所のお通夜やお葬式を見ながら覚えないといけないなと心得てきましたがやはり無理でした。

いくつか地域独特のお話をさせていただきます。ちなみに自宅でいまだにお通夜お葬式を行うのが当たり前になっています。さらに祭壇に関しては地域で共同購入したものを使います仕組みになっています。

まずなくなるといわゆる隣方と言う近隣で情報共有を行います。そして、近隣で寺総代と言う役割があり、お寺さんに連絡をし、お通夜とお葬式の日程を遺族の方と決めることになります。

そして、お通夜に関しては近隣の奥様方が集まりお酒や食事を振る舞うために相当な量を作ることになります。そしてほとんどのご自宅に大きな和室があるのでそこで亡くなった方を囲んで懐かしい話をするのが慣わしです。ちなみにお通夜に関しては参列くださった方々の対応も近隣の人間で全て取り仕切るのが習わしになっています。

お葬式に関してもお坊さんの側につくフォローの人数でその方の生前の立ち位置や地域への貢献度が図られることになっています。私の祖父などは非常に地域の仕事を一生懸命行っていましたのでメインとなるお坊さん以外に6名もつきました。さらに驚くべきはお花の数です。これも家の前からどれだけ多く花が並べられている方が地域への貢献度の証となることもあり私の祖父などは500メートルは花が並んでいました。

ここまでならまだしも、葬儀の際には近所の奥様方が普段練習している御詠歌を歌ってくれます。それも初七日そして伏見のタイミングでは必ずお招きすることになっています。驚くことにそのお礼として相当金額の金券さらにはお菓子などをお返しすることになっています。

このような古き良き時代も高齢化が進み、私のようになかなか引き継ぐことが難しいような世代が多くなっているので、どこまで続くかはわからないところです。私の両親などは、大変だから自宅ではなく葬儀斎場で葬儀を行ってほしいと託されているほどです。

葬儀屋おすすめランキングでは地域の葬儀屋が掲載されているので参考になりそうです。

新人看護師の悩みと対処法

看護師の皆さん誰もが通る新人時代。

この新人時代は決して楽ではなく、肉体的にも精神的にも辛いですよね。

あなたと同じように悩み、そして、仕事を辞めたいと思っている看護師の方は他にもいます。

あなたの悩みが少しでも解消できるよう、新人看護師の悩みについてお話しいていこうと思います。

「出来ない、解らないがいっぱい。どうしたらいい?」

大変な看護学生時代を過ごし、そして国家試験に合格して晴れて看護師の免許を取得した看護師の皆さんは、就職したらすぐに看護師としてバリバリ働けると思っていませんか?

看護学生時代には、必死で勉強したので、知識はたくさん入っているし、辛い実習生活も乗り越えたわけだし就職後は即戦力になれると思っている方も多いと思います。

ですが、現実はそんなに甘いものではなく、就職してからしばらくは、院内研修で患者と接することはできないし、患者と関わることはできても、環境整備やバイタル測定程度しか、やらせてもらえません。

そして、いざ患者のケアや処置をしようと思っても、教科書通りの方法では実際の医療現場では行っていなかったり、思うように行動できなかったりと、自信を失いそうになる方も多いではないでしょうか。

あんなに学生時代に勉強したのは、何だったのかと思いたくなりますよね。ですが、そう思っているのは、あなただけではありません。

看護師の皆が新人時代にこのモヤモヤと戦いながら成長していくのです。就職してから、改めて1から学び知識と経験を身につけると思い仕事をする方で、とても楽な気持ちになります。

先輩看護師も同じような道を通ってきてるので、あなたの気持ちはわかってくれるはずです。

ただ、ひとつ注意しておきたいのが、なんでも先輩に教えてもらえるとは思わないでください。

やはり、自分で事前学習はすべきですし、知らないことは、調べたうえで、わからないことを先輩に聞くように心がけてください。

「理想と現実の違い。看護師の仕事ってこんなの?」

ナイチンゲールのような看護師なりたい!とか、白衣の天使になりたい!といったように、あなたの頭の中には理想の看護師像があると思います。

ですが、実際に働きはじめると、一瞬にして理想と現実の違いを目の当たりにして、理想の看護師像が壊れてしまう方も多いのではないでしょうか?

看護師の仕事は、綺麗な仕事ではなく、苦しみや痛み、そして辛さを感じている人に対しての処置やケアを行うことなので、とても大変な仕事です。この理想と現実の、ギャップに耐え難いと思う看護師も多いのです。

ですが、理想と現実が違うからといって、看護師の仕事をすぐにやめることだけは、避けてください。

あなたの思っているイメージと違うかもしれませんが、看護師の仕事は、とても奥が深いのです。

何年何十年働いている人でも、完璧な看護師なんていませんし、人によって考え方が違うように看護感も違うのです。

また、人の命と直結した仕事なので、とてもシビアな現場です。ですが、シビアだからこそ、やりがいを感じることのできる職場です。

現実と理想の違いを感じても、自分のやりたい看護を導き出し、そして患者さんと関わるようにすることで、理想の看護師像を新たに作り、それを目指すことで、あなた自身の看護師像を作り上げることが出来るのです。

「ストレス限界。仕事を辞めたい。」

看護師の仕事をしていると、肉体的にも精神的にも負担があり、これが積もっていくとストレスとなります。

新人看護師の場合、このストレスをうまく解消することができない方が多いです。そのため、ストレスを溜めすぎて仕事を辞めたいとけどどうしたらいいのか?と悩まれる方がいます。

まずは、ストレスの解消方法をご紹介します。ストレスの解消方法は、プライベートの時間に仕事を持ち込まないようにすることです。

プライベートの時間には、趣味やお稽古、マッサージなどをして仕事のことは忘れるようにしてください。

そうすることで、リフレッシュすることができます。

この方法で、ストレス発散を試してみても、発散できず仕事を辞めたいと思うのであれば、転職をすることも選択肢の一つです。

3年以上の経験を積んでいなければ、転職はタブーと昔は言われていましたが、最近ではそんなことはありません。

3年程度の経験がなくても、転職することは可能です。看護師の経験が3年未満の方で転職をする場合のポイントですが、新人教育をしっかり行っているところを選んでください。

転職先で新たに教育をしてもらえれば、看護師として知識も技術も身につけ得ることができるので、問題ありません。

「まとめ」

いかがでしたでしょうか?あなたの悩みを少しは解決する事ができましたか?新人看護師の悩みは、周りに相談できずに1人で悩みを抱えている方が、とても多いです。

少し考え方を変えたり、方向性を見直す事で悩みは解決できます。考えすぎず、あなたなりに考え、あなたのやりたい看護を患者さんに提供して下さい。

住宅ローンをくむなら慎重に

借金や債務と聞いて、一番身近な存在は住宅ローン。
私は実家はながながと35年もローン返済をしていたこともあり、もう生活の一部のような存在で、「住宅ローンくらい」と軽く考えていましたが中には住宅ローンによって苦しめられる人も多いようです。

その身近な一例に、先輩のご家族がいました。
ご主人が若いころに住宅を購入、当時雇用形態は終身雇用が主流であり返済するまでの間の給与アップをおおよそではありますが見通しを付けられる環境にありました。

しかし後に、ご主人の会社は不況の煽りを受けて実力主義の会社に吸収合併され、給与形態は大きく変更。

そこまではなんとか持ちこたえていたのですがこどもの進学などで一番大変な時期に、リーマンショックによる給与減額…このままでは返済が難しいと、困り果てていました。

そこで、銀行に相談に行ったり奥さんが看護師に復帰して、より給与の高い職場に就職したり、こどもが公立高校への進学のために、勉強に力を入れたりと家族がかりで借金、債務に立ち向かっている様子でした。

先輩は「どうにかなっているよ。」と苦しげに答えてはいましたがこちらから見ると、家族で一丸となって協力している姿がとても印象的で「良い家族だな…」と思いました。

マイホーム購入の為に必要な住宅ローン。
身近な借金、債務のひとつですが、長い返済期間に何があるかはわかりません。
マイホーム購入の際は、家というハード面だけでなく家族の絆もより強化して臨む必要がありそうです。

田舎の県立病院を辞めて都会の市民病院へ転職3

職場の人間関係に疲れて転職を決めた私は、友人の紹介もあってなんとか都会の市民病院で働けることになりました。新しい勤務先は私が勤めていた田舎の病院とは雲泥の差、とても洗練された大病院です。

はじめはきちんとうまくやれるだろうか、周囲との力量の差があったらどうしようかと心配していましたが特に問題ありませんでした。

この病院ではそれぞれの担当がきっちりと分かれているので、ベテランの看護師さんでも、自分の担当業務以外の仕事は苦手という人がけっこう多かったです。

私はといえば、田舎にありがちな何でもかんでも若いからといってたくさんの業務を押し付けられ、様々な科のお手伝いにしょっちゅう駆り出されていたので、新しい職場でもある程度の要求ならばなんとか応えることが出来ました。若いのに随分と手馴れているねと感心されたほどです。

このような業務内容もそうですが、なにより一番違いを感じたのは人間関係が良い意味でドライだということです。

田舎ではプライベートまで詮索されるような息が詰まる日々でしたが、こちらではオンオフの切り替えがみんなとてもうまく、あまり周囲の同僚と張り合ったりひがんだりといったことがないように感じました。

もちろん心の中ではそれぞれ思うところがあるでしょうが、それを口に出すのは格好悪いといった感じで、露骨にそういった雰囲気を出す人はいませんでした。

同じ看護師という仕事をするのなら、周囲の人たちに惑わされたり疲れたりせずに働きたい、そう思って転職した私でしたが、結果は大満足でした。私と同じように看護師の仕事に悩んでいる方は看護師辞めたい!辛い時の処方箋が参考になります。

都会で看護師をしている友人から、こちらは田舎ほど人間関係が面倒くさくないと聞いたときは半信半疑でしたが、思い切って信じて転職をしてみて良かったです。

 

田舎の県立病院を辞めて都会の市民病院へ転職2

職場の人間関係に嫌気が差し、別の職場に転職することを決意した私ですが、周囲に退職を伝えた後の反応がとても面倒で参りました。

まず、看護師の先輩達からは「はあ?結婚でも妊娠でもないのに辞めるなんて聞いたことがない」と言われ、仕事について質問をしても「どうせもう居なくなるんだから教えてもしょうがないでしょ」と取り合ってもらえず…。

きっとみんなこの職場の居心地を良くは感じていなかったので、さっさと辞めていく私に腹が立っていたんだと思います。確かに結婚をして子供もいるのでは、どんなに嫌な職場でも辞めるという結論に達するのはなかなか難しいのでしょうね。

また担当していた患者さんで、けっこう仲良くしていたおばあさんには「○○さんに置いていかれちゃうのね」「見捨てられる気分だわ」と毎日言われていました。

確かに、担当が途中で変わるのは患者さんにとっては嫌かもしれないけれど、じゃああなたが退院するか死ぬまで私がずっと担当してなきゃいけないわけ!?と言われるたびにイラッとしてしまいました。

そして家族からは、資格があればどこでも働けるだろうになぜあえて地元から離れた場所に転職するのかと文句を言われました。家にいる間は早く嫁に行けなどと言っていたくせに、出ていくことが決まったら急に寂しいなどと言われ唖然としました…。

このように退職前するまでの3か月間は家でも職場でもチクリチクリと嫌味を言われる毎日で針のむしろ状態でした。早く退職して新しい場所に引越しして、一から人間関係を築いていきたい!と毎日思っていました。

いざ、地元を離れる当日も感傷的な気分にはまるでならずに、むしろ清々した気持ちで新幹線に乗り込んだことを覚えています。

田舎の県立病院を辞めて都会の市民病院に転職 1

私は地方の県立病院で看護師として3年間働いてしました。看護師で若いからと頻繁に夜勤に入っていた私の月収は手取りで25万円と同級生の中でも高給取りでした。

しかし田舎という場所は本当に楽しみがなく、買い物ができるところも遊ぶ場所もあまり多くありません。使う場所がないので、看護師仲間はみな、お金はいつも余っているような雰囲気がありました。

そんな田舎の看護師の楽しみといえば…そう、合コンです。

消防士や警察官、市役所などの公務員系からサラリーマン、銀行員、ショップ店員などとにかくあらゆる職種の方々と合コンをしまくりました。

言っておきますが私は彼氏もいて、合コンなんてはっきり言って行きたくはありませんでした。

しかし女性だらけの職場の若手である私には、務めた当初から合コンセッティング要員というありがたくないポジションが与えられ、最低でも月に一度は先輩方のためだけに合コンを開かねばならなかったのです。

とにかくこれが苦痛で苦痛で仕方がありませんでした。ただでさえ激務の看護師、その貴重な休みを使って先輩たちのために合コンの幹事役…本当にバカバカしかったです。

そんな日々にうんざりしていたときのこと、お盆で帰省していた同じく看護師の友人とお茶をする機会がありました。横浜の病院に勤めている彼女は私の話を聞いて驚いてしました。

都会の看護師さんたちは全然合コンなんて行かない、むしろガツガツするのは格好悪いと思っている。休日は女同士で新しくオープンしたスイーツのお店に行ったり、パワースポットめぐりをしたり、自分のために楽しく使っているとのこと。

「同じ仕事をやるなら都会で楽しく働いた方がいいよ」

彼女のこの一言で、私は地元を離れる決心をしました。